こんにちは、高田です。
今日は、AUのテレビコマーシャルで使われている楽曲「みんな自由だ」を聞いて考えたことについて書きたいと思います。
普段あまりテレビを見ることも、曲を聴くこともないのですが、車で通勤しているときに必ずラジオを聴いていて、そのときこの曲が流れてきました。
タイトルのまんまの曲ですが、パワフルなメロディと真理を突いた歌詞にちょっと気持ちが楽になりました。
では、僕がこの曲を聴いてなにを考えたのか、書いていきたいと思います。
きっとみなさんにとっても新たな気付きを与えることが出来ると思います。ぜひ最後まで読んでみてください。
Half time Oldの「みんな自由だ」から学んだ「自由」と「執着」の正体
さて、小難しい話をする前に、まずはHalf time Oldの「みんな自由だ」を聞いてみてください。
僕がこの曲を聴いて考えたのは、「自由」ではなく「執着」についてです。
自分が自由ではないと感じている=窮屈に感じているときは、なにかに執着しているときだと感じました。
つまり、「自由」の反対は「拘束」や「束縛」ではなく、「執着」だということです。
執着というのは人間が抱く本能的な感情です。
モノやお金、人、場所、ステータスなどなど…に「こうあるべき!」というこだわりを持つことが執着です。
ときに執着が精神的エネルギーとなり、前進する力になります。
しかし、多くの場合は執着によって考えが凝り固まり、前進を妨げる力になります。
人は追い込まれると「これしかない!」と視野が狭まり、苦しくなります。
ただ、「これしかない!」と自分が思っているから追い込まれていることに気が付くことが出来れば、それさえ捨てれば状況は一転するのです。
要するに、今の自分が不自由や窮屈さを感じているのは、誰かにそうさせられているわけでも、社会の仕組み的にそうなっているわけでもないということです。
自分のこだわりや思い込みが自由を阻害しているのです。
自由に生きるために重要な「執着」との向き合い方
僕は決して自由に生きることが全てだとは思っていません。
最近は「やりたいことで生きていく」ことがブームのようになっていますが、それとは意味合いが違い、もう少し現実的な路線だと思います。
僕にとって自由に生きるというのは、常にニュートラルな状態でいることです。
中立的であり偏らない、自由でも窮屈でもない、そんな感じです。
しかし、生きているとあらゆる「執着」がそんなニュートラルな状態を揺さぶります。
この仕事をすればもっとお金が入るぞ!
この学校に入れば高学歴エリートの仲間入りだ!
この会社に入ればステータスはばっちりだ!
これに成功すれば自分に箔が付くぞ!
こんな些細な思いが徐々に「執着」へと変わり、自分を窮屈な状況へと追い込んでいきます。
ただ、先にも述べたように「執着」は人の本能です。
だから、それを持たないというのは現実的ではありません。
また、「執着」が一時的なモチベーションになることも間違いありません。
だから、「自分が窮屈さや不自由さを感じてきたら、執着を捨てる」というのをルールにしておくと良いでしょう。
執着を捨てるというのは難しそうに見えて意外と簡単なことです。
ポイッと捨ててしまいましょう。それだけです。
執着に対してこのような向き合い方をすることで、多少のゆらぎはありつつも常にニュートラルな状態を保つことができるのです。
まとめ
こんな偉そうなことを書いていますが、僕も気づけばいろんなことに執着しています。(笑)
だから、執着をなくすのではなく、自分がそれとどう向き合うのかを考えることが重要だと思うのです。
周りの人に何と言われようと。
会社がブラックだろうと。
社会の仕組みがおかしかろうと。
すべて自分次第だということです。
だから、「みんな自由」なのです。
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