こんにちは、高田です。
今回は、世代の違う人たちの集合体の導き方について書きたいと思います。
これから人生をはじめる人とこれから人生の終わりを迎える人で”正しさ”は異なる。
ならば、それらの集合体はどのような”正しさ”を掲げれば良いのか。
この問いに対しては、僕自身もよく頭を悩ませています。
この記事では、僕がこの問いに対してどのような考えを持っているのかを書きたいと思います。
これからはじまる人とこれから終わりを迎える人の”正しさ”
僕がこの問いについて初めて考えたのは、いわゆる年功序列の会社の是非について友人と議論したときでした。
友人曰く、20代会社員と50代会社員では、同じ組織にいてもそれぞれの”正しさ”が噛み合わないというのです。
50代会社員からすれば残りの会社員生活の10年間について考えて最もメリットのある行動=終わりを意識した行動を取ること、
20代会社員からすればはじまりの10年間について考えて最もメリットのある行動=はじまりを意識した行動を取ることが、最適解になります。
だから、20代会社員が新しいことに取り組みたいと考えていても、その上司である50代会社員からすればあえてリスクを取る必要はないという判断になるのです。
これはどちらが良いとか悪いとかではなく、社員個人にとっての”正しさ”に任せたらそうなるのが自然であるということです。
でも、それでは会社は成長しませんし、組織としての求心力を失ってしまいます。
では、あちらを立てればこちらが立たずの状態で、会社はどのような”正しさ”を掲げればいいのでしょうか?
「理解はできるが同意できるかどうかは別」が健全な組織を生む
僕は、ほとんどの会社というのは常に成長を目指すべきだと思っています。
それが最終的にその組織を構成するすべての人にとっての利益になるからです。
だから、社員個人の”正しさ”についてはあまり考慮せずに、会社の”正しさ”を決定すべきだと考えています。
ただし、その際に大切なのは個人の”正しさ”に対して最大限の理解を示すということです。
「理解」と「同意」は別物です。
個人の”正しさ”と会社の”正しさ”と一致するならば理解も同意もできますが、相違があるならば理解はできても同意はできません。
つまり、どのような価値観に対しても理解は示せるということです。
会社の”正しさ”と違うからと一蹴するのではなく、理解はできるということを示した上で、組織としての正しさを理解してもらえるように努めるしかないのです。
そうすることで社員にとってもある程度腹落ちした状態で、会社の”正しさ”=成長志向を保つことができるのです。
まとめ
この「理解」と「同意」を使い分けられるようになると、様々なことが好転します。
例えば、高圧的な態度で相手をコントロールしようとしてくる相手に対しても全く怯むことはなくなります。
「この人が強い態度をとるのはなぜなのだろうか?」と相手の視点で考え、その理由を理解してあげることができるからです。
そして、その上で同意できるかどうかは検討することができます。
つまり、価値観の違う人たちともきちんと対話できるようにすることが大切だということです。
そうすると様々な視点から物事を見られるようになり、自分の人としての器が広がります。
理解はするけど同意はしない。
このスタンスこそ世代間・個人-組織間のコミュニケーションを円滑に進めるためのコツなのではないでしょうか?
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