こんにちは、高田です。
今日は、競技スポーツに取り組む意義について書きたいと思います。
僕自身競技としてテニスをはじめたのは中学生からですが、今もその世界にコーチとして身を置いています。
最近は特に低年齢のジュニア選手と接する機会が多いため、「競技としてテニスをする意義」について考えさせられることが多々あります。
競争をはき違えていじめや足の引っ張り合いが起こったり、競争のプレッシャーに耐え切れず辞めてしまったり…。
それなら競技ではなく趣味として楽しむ方が良いのではないかと思うこともあります。
子どもにとって「競争」というのは大きな学びをもたらす一方、大きな負担がかかるのも現実です。
でも、やっぱり僕は競技スポーツに打ち込むことはとても価値のあることだと思うのです。
競技スポーツは人生を豊かに生きるヒントをくれる
競技スポーツは、「競争」の本当の意味を教えてくれます。
そして、それは自分の人生を丁寧に生きることを手助けしてくれます。
僕は、16歳くらいまで「競争」を定義できずにとても苦しみました。
勝ったら喜ぶ。
負けたら落ち込む。
結果が全て。
結果ではなくてその過程が大切。
どこに「競争」の真の姿があるのかわからず、大忙しでした。
結果や努力を人と比べては自己否定・肯定を繰り返しました…。
とても不安定でした。とてもストレスフルでした。
ただ、時が経つにつれて「競争」の要素である試合・勝負・その過程についての考え方が成熟するにつれて、「競争」の正体が理解出来るようになりました。
試合は、読んで字のごとくお互いの心技体を「試し合う」のが目的であり、勝ち負けを決めるのが目的ではないこと。
勝ち負けは、単なる試し合いの結果でしかないこと。勝った負けたに関わらず有益なフィードバックを得られること。勝ち負けは優劣をつけるものではないということ。
過程は、良いときもあれば悪いときもあり、波があって当たり前であるということ。
つまり、勝ちがあれば負けがあり、良いときがあれば悪いときがあるのだから、それに左右されることなく常に自分が今できることにフォーカスすることがすべてなのです。
そのうえで、「競争」は自分が今できることにフォーカスすることを妨害する=自分が今できることにフォーカスする力を鍛えるための手段だと気づいたのです。
つまり、「競争」は自分をより良くするための負荷なのです。
勝ったら喜びたくなる、負けたら落ち込みたくなる。
結果が出たら自分を肯定された気分になる、結果が出なければ自分を否定された気分になる。
人に褒められたら自分を肯定された気分になる、人に貶されたら自分を否定された気分になる。
だけど、それに流されずに常に自分が今できることにフォーカスする。
だから、その力が強くなるのです。
この力は、自分の人生を自分らしく生きるための素晴らしい手助けになります。
周りの評価、結果の浮き沈みに一喜一憂せずに、ただ淡々と自分が信じる道を突き進むことが出来るようになるのです。
だから、「競争」は自分をより良くするためのトレーニングなのです。
まとめ
僕は、結果が出たときに「これまでの努力が報われた!」、「自分が肯定された!」と思ったり、結果が出なかったときに「これまでの努力は無駄だった!」、「自分が否定された!」と思ったりしたら要注意だと思っています。
なぜなら「競争」の本質からかけ離れてしまっているからです。
勝ち負けやその過程で一喜一憂していても構いません。
ただ、一喜一憂することが「競争」の目的ではありません。
それを学ぶために競技スポーツは最も適したものだと思うのです。
競技スポーツは人生を豊かにするのです。
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