こんにちは、高田です。
今日は、人間が生み出す「分断」というテーマについて考えたいと思います。
先日、中国の友人と電話をする機会があり、そのときにあるひとつの気づきがありました。
それは、日本人だから…とか、中国人だから… ということはないということです。
人は、どうしても物事を分断したり、カテゴライズしたりするのが好きです。(関連記事:グラデーションのある世界で戦う)
それは、思考を簡素化するためにとても有益なことではありますが、物事の本質を見ようとすると、その分断は邪魔になります。
なぜ分断が生まれるのか、そして分断が生まれることによってどのような問題点があるのか、自分の分断的思考に気づくためにはどうすればいいのか。
その3点について詳しく書きたいと思います。
人はなぜ「分断」を好むのか
先にも述べた通り、人は物事を分断したりカテゴライズしたりして、捉え、考える生き物です。
なぜならそっちの方が思考回路は単純になり、答えを出しやすくなるからです。
自分が「わかるもの」と「わからないもの」に分け、「わかるもの」の中だけで考える。
そうすれば、簡単に答えを出すことができるでしょう。
例えば、「日本人には消極的な傾向がある」とカテゴライズします。
そうすれば、自分が積極的に意見を発信したり、人に思いを伝えたりできないことの説明は簡単につきます。
あ〜自分が日本人だからか〜。
分断すれば楽だから。カテゴライズすればわかりやすいから。
だから、人は「分断」を好むのです。
「分断」は本質を隠す。
このように、傾向を掴んだり、カテゴライズすることは思考を簡単にします。
ただ、本質を見るためには、とても邪魔なものになります。
いわゆる「偏見」というのも、分断の1つに当てはまるでしょう。
物事の本質は万物に当てはまるものです。
だから、分断してわかるものだけの中で考えても、わからないものを批判しても、本質には辿り着けないのです。
これだから中国人は…。
これだからアメリカ人は…。
なんて言っている人が物事の本質を見られるとは、僕は思いません。
「分断」的思考から逃れるための方法
僕は分断的な考え方にならないように気をつけていますが、たまに分断された思考に巻き込まれることがあります。
自分では気づかないうちに「常識」や「集団の同調圧力」によって、自分が分断的な思考に陥ることがあります。
ただ、常に「人間はそうなりやすい生き物なんだ」ということを念頭において、常にそうなっていないかをチェックすることで「分断」から自分の思考を解放することができるのです。
わかるものを肯定し、わからないものを否定する。
そんなつまらない思考に陥ってはいけません。
わからないものは、自分がただ知らないだけです。
知ればわかるものになります。
つまり、分断的な思考に陥る時は、自分が知ることをサボっている時なのです。
常に、わからないものをわかるものに変えていく。
その姿勢こそ、分断的思考からの開放と本質の理解へとつながるのではないでしょうか?
まとめ
僕にはあまり帰属意識というものがありません。
それは「日本」という大きなくくりについても同じです。
「もう日本は衰退していく一方だ…」という嘆きをよく耳にしますが、
だからなに?
というのが、正直なところです。
日本とその他の国を分けて考えているから、必要以上に日本の衰退を恐れるのです。
日本が含まれる世界全体をひとつでみれば、日本の衰退なんてちっぽけなもので、恐れるに足らないのです。
そう、僕たちは「地球の子」なのです。笑
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