こんにちは、高田です。
今日は、理不尽な出来事の対処法について考えたいと思います。
2018年の1/4が終わりました。あなたはどのような1年のスタートをきったでしょうか?
僕にとってこの3ヶ月間はここ数年で最も心惑わされた期間だったかもしれません。
「なぜこんなことが起こるのだろうか…」と、お手上げ状態でした。
今振り返ってみるとどうしても許せないような周りの言葉や行動の連続を真に受けてしまい、自分がコントロールできる部分にフォーカスしきれていなかったのが原因だったと思います。
あなたも明らかに冷静さを欠いた感情的な言葉を浴びせられたり、責任感のない自己中心的な行動を見せられたりするとイライラが止まらなくなることがあると思います。
このような状況をどのように乗り越えるのが健全なのか、僕なりに考えを整理しておきたいと思います。
なにがあっても許すこと
僕はどうしても許せないような理不尽な仕打ちがあったとしても、全てを許すことが大切だと考えています。
ここでいう許すというのは「まあそういうこともあるよね!」と無視して開き直るのとは違い、相手の背景に想像力を働かせてじっくりと受け止めることを意味します。
「そんなこと出来ないよ!」と言われるかもしれませんが、許すことさえ出来れば自分を含めて全ての人が前向きになれるのです。
人間ならば、なにか嫌なことがあったとき誰かに辛く当たってしまうことがあるでしょう。すると、その当たられた人は誰かに辛く当たり、またその当たられた人も誰かに辛くあたり…という負の連鎖が起こります。
しかし、自分が誰かに辛く当たられたときにその背景に想像力を働かせ、許しと優しさを与えることが出来れば、辛く当たった人、自分、その周りの人にとって良い雰囲気をつくることが出来ると思うのです。
辛く当たった人は事情を理解し優しく接してくれるあなたに申し訳ないという思いを抱くと共に行動を改善するでしょうし、あなたは自分がコントロールできることに集中できますし、その周りの人は嫌な思いをせずに済むでしょう。
最近の僕は心に余裕が持てず、理不尽な出来事に対して許すことが出来ていなかったように思います。
「なぜ何も知らない人が憶測だけでこんなことを言うのか?」「なぜこの人は本心とは違うことを言うのだろうか?」、「なぜこの人はすぐ感情的になってしまうのか?」、「なぜこの人は自分の言動に責任を持てないのか?」と嫌な出来事ばかりに感情を流されて、考えても無駄なことばかり考えていました。
結局は、許して認めることが出来れば、許され認められるのだと思うのです。
まとめ
いがみ合って解決されることは本当になに1つないということをこの数か月間は学びました。
理不尽なことはこれから先いくらでも起こるでしょうし、それがたたみかけて起こることもあるでしょう。
そのときにどれだけ「悲劇のヒロイン」ぶらずに、その出来事や人を許すことが出来るか。
もっと大きな人間になれと教えてくれたのかもしれませんね。
新年度も頑張りましょう!
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