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25歳なにしてる?本当の”仲間”についておもうこと

こんにちは、高田です。

今日は、26歳の誕生日を迎えて思うことをただただ書きたいと思います。

「何について書こうかな…」と考えると、やはり”仲間”についてしかないでしょう。

僕には、本当に心の底から気の許せる仲間がいます。

これはめちゃくちゃ幸せなことだと思います。感謝しかありません!

今日は誕生日に免じて、僕の仲間論を聞いてやってください。(笑)

僕にとっての”仲間”とは?

僕にとっての”仲間”とは、決して「仕事仲間」や「趣味仲間」のような狭義の仲間ではなく、同じような価値観や志を抱いて生きている人を意味します。

だから、同じ職場に勤めているだとか、同じ趣味を持っているだとか、同じ世代だとか、そんなちっぽけなことは関係ありません。

なにしていようが、何歳だろうが、どこに住んでいようが同じ方向を向いている人はみんな”仲間”です。

僕は、この広義の”仲間”とつながっていることが、人生を豊かにすると信じています。

最近、会社のミーティングで「これからの目標」と「それに対して抱く感情」と「なぜその感情を抱くのか」を書き出し、発表するということをやりました。

僕の目標は「仲間と一緒に、自分の可能性を最大限まで引き出すこと」でした。

僕にとって「仲間と一緒に」というのは第1前提であり、そのうえで自分の限界がどこにあるのかを知りたいのです。

言い換えるならば、自分の可能性を最大限まで引き出せれば、ずっと”仲間”と一緒にいることができるだろうと思っているのです。

“仲間”ファーストになった原体験とは?

最近の僕の周りには思考の原体験を聞きたがる人が多いので、この価値観を持つに至った体験についても書いておこうと思います。

多分、だらだら書くとわかりにくくなると思うので、先に”仲間”ファーストになった原体験を4つにまとめておきます。

  1. 根本的に「同じ志を持つ仲間がいる」=「かっこいい」という価値観があった。
  2. 中学生・高校生の部活動で主将として失敗した。
  3. 部活動を引退し、社会的アイデンティティの喪失を経験した。
  4. 大学生で指導者として目標を達成した。

では、これらについて詳しくみていきましょう。

「仲間がいる」=「かっこいい」という価値観

そもそも僕は「精神的な強いつながりのある仲間がいる」ということに強い憧れを持っていました。

普段の言動から意外に思われることも多いのですが、これは小さな頃から漠然とした理由すらなく思っていました。

だから、これについてはなぜもくそもありません。(笑)

主将としての部活動での失敗

僕は、中学・高校と部活動で主将を務めました。

その頃は、本気で「全国大会に出ること」を目指して努力していました。

プレイヤーとして、キャプテンとして、とにかく自分にもチームメイトにも厳しく接していました。

それがチームとしてあるべき姿だと本当に信じていました。

ぶつかり合うことでより良くなると信じていました。

ただ、とことん厳しいコミュニケーションを取ることで、当時は後輩・同輩・先輩とあまり良い人間関係を築くことができませんでした。

「精神的な強いつながりのある仲間がいる」ことに憧れ、それを目指していたにもかかわらず、結果は真逆になってしまったのです。

部活動を引退し、社会的アイデンティティを喪失

僕の高校は大学受験がないので、部活動を6月に引退してから大学入学までは本当に暇でした。

その頃、「テニス部の主将」という社会的アイデンティティを失った僕はある意味”ひとりぼっち”でした。(この頃、プライベートでもいろいろとありました…。(笑))

お盆と正月がなんとやらの逆バージョンという感じで、正直かなり辛かったです。

「主将」という肩書きがあったから、部活動のみんなが自分の話を聞いてくれていたんだ。それがなければ自分の話を聞いてくれる人は、ひとりもいないんだ。

とにかく失望しました。いわゆる病んでるってやつです。

ただ、落ちるところまで落ち切ってからは、「じゃあどうすれば本当の”仲間”ができるんだろう?」と考えに考えました。

良い時も悪い時も繋がり、あるときは友達のように楽しみ、あるときはライバルのように戦い。そんな人間関係の集合体を築きたいと熟考しました。

そのなかでうまれたひとつのルールが「相手を認めることからはじめよう」というものでした。

ここからは本筋から外れてしまいますが、どうしても書いておきたいことが1つあります。

それは、この時期に遊んでくれた友達にはとても救われたということです。

なにしていたかも覚えていませんが、とても感謝しています。

正直、一緒に遊んでくれる友達すらいなかったら、終わっていたと思います。

指導者としての成功体験

そして、高校を卒業し、大学に入学しました。

大学生ではプレイヤーとしてはテニスをせず、指導者としてテニスに向き合うことになりました。

目標は、自分がプレイヤーのときと同じく「学校史上初の全国大会に出ること」でした。

ただ、約1年間のおやすみ期間のおかげで、その目標に対するアプローチの仕方は大きく変化しました。

また、指導者という立場も僕にとっては良い方向に働いたと思います。

なぜなら、自分ががむしゃらに頑張ったところでチームの目標を達成することができないからです。

だから、チームの主役であるプレイヤーをいかに適材適所に配置し、モチベートし、「いかにやってもらうか?」が目標達成には欠かせないのです。

つまり、指導者にはプレイヤーをいかなるときも許し、常に観察し、タイミングをみて対話していくことが求められるのです。

もちろん、その頃のプレイヤーたちに聞いたら、「厳しかった」、「怖かった」と言うと思います。(笑)

ただ、ひとつ違うのは今でもご飯に誘ってくれることです。

もちろん、目標を達成したということも大きいとは思いますが、それ以上に”仲間”になれたのだと僕は信じています。

まとめ

冒頭でも書きましたが、僕は今とても素晴らしい仲間と刺激的な日々を過ごしています。

仕事も、プライベートも、Youtubeも…。

ん?Youtube?

あ、そういえば2020年6月からYoutubeをはじめました!!!

このブログを読んでくれている方はもうすでに知っていると思いますが(信じていますが)、中学からの同級生とYoutubeでラジオを放送しています。

毎週日曜日21時オンエアーです!!(いつでも聴けます!)

「尺が長い!」とか言わずに、30分くらい頑張って聴いてください。

「ただの内輪じゃん!」とか言うまえに、輪に入ってください。

「26歳になったらどうするんですか〜?」…うるさい。

とにかくチャンネル登録と高評価を押してください。

26歳の誕生日プレゼントはそれだけでいいです。

では、また。

ありがたい。

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