こんにちは、高田です。
今日は、多くの方が僕に対して抱いているであろう疑問の1つを解決したいと思います。
それはタイトルの通り「なぜ僕がテニスコーチをしているのか?」という問いです。
話すと長くなり面倒なので、これまでは気の知れた仲の人以外には説明を避けてきましたが(親にも最近説明したばかりです…。(笑))、僕なりにきちんと整理して書いてみたいと思います。
なんで高田さんは慶應大学を卒業したのにテニスコーチをしているの?
これは昨日の帰り道で中学生のジュニアの子から受けた純真無垢な質問です。
「就職に失敗したんじゃないか!?」、「親が資産家なんじゃないか!?」…
といった、様々な憶測が飛び交う末、後輩には「高田さんのお父さんって探偵なんですよねっ!?」と真面目な顔で詰め寄られる始末。
就職に関してはエントリーシートすら書いたことがないので0戦0勝0敗です。僕が逃げたのか、就職が逃げたのかは定かではありませんが、多分後者です。気が付いたら就活期間が終わってしまっていました。
家庭は裕福な方ではありますが、残念ながら石油王のような莫大な資産はありません。
もちろん言わずもがな父親は探偵ではありませんし、探偵だったとしたら何なんだってところでもあります。
はい。余談はここまでにして真面目に書きます。(笑)
なぜ僕はテニスコーチをしているのか?
この問いに対しては「テニスコーチになることが自分を最も生かす道だと思ったから」という答えが一番しっくりくると思います。
もちろん、「テニスを通じて更なる高みに立ってみたいから」というのも理由の1つです。
調べたことはありませんが、慶應大学卒のテニスコーチって多分片手で数えられるくらいしかいません。
しかも、その中で18歳からコーチングを始め、20代前半で指導者として全国大会を経験している人はあまり聞いたことがありません。
だから、僕にとって「テニスコーチになる」という選択は、自分を「唯一の存在にする」ことと同意だったのです。
慶應大学卒の銀行員、慶應大学卒の商社マンはたくさんいます。
だから、そこには熾烈な競争が生まれます。その環境で唯一の存在になるのはとても大変なことです。
僕は勉強やテニスのようなメジャーな競争では1番になることができなかった「普通」の人です。
だから、そのような環境に入って真っ当に勝負を挑んでも、僕は多分生き残ることは出来ません。
持って生まれたものがないのだから、とにかく試行錯誤を繰り返して工夫するしか生きる道はないと思うのです。
と、このような考えを具現化したのが「テニスコーチの僕」なのです。
まとめ
これまでの僕は常に「普通コンプレックス」を抱えていました。
中学や高校の部活動で主将を務めたのも、ジュニア時代18歳以下2年目のほとんどをダブルスの練習に費やしたのも、大学で選手にならずにコーチになったのも、今となって考えてみると全て「普通な自分」をいかに「レアな自分」にするか本能的に判断したのだろうと思います。
そのときはそんな戦略的に考えて選択をしてきたわけではありませんが、自然にその道を選んでいたのだと思います。
このような生き方をしてきたことで僕は1つの目標に対していくつものアプローチ方法があることを知りましたし、それがコーチングに生きていることは間違いありません。
選手1人1人の目標や性格に合わせて違うアプローチ方法を用いる僕の指導スタイルはこのような経験から生まれたのだと思います。
これからも、自分の価値を上げてより「レア」な存在になれるようにテニスコーチとして、そして何よりも人として努力を積み上げていきたいと思います。
最終的には、オリンピックのメダリスト、昭和61年後期の10円玉、ポケモンGOのルギアくらいのレア度になってみせます。ご期待下さい。
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